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CASE5−10 医療者に望むこと

帝王切開になった人が周りにいなかったので、

 

「切ることになっちゃったんだね。」

 

とか産後言われるのが辛かったです。

 

また、子どもはかわいいんですが、

 

我が子を見ても、

 

普通に小さい子を見てかわいいと思うような感情しかないような気がしていて、

 

こんな私が母親になれているんだろうかとも思っていました。

 

生後半年くらいにベビービクスに参加した時、

 

自分の子を見て

 

「隣の赤ちゃんよりかわいい」と感じた時に

 

「あー、自分の子だからかわいいんだ。」

 

とやっと思えて、

 

そこから少しずつ出産のことは忘れるようになっていきました。

 

しかし、医療者とか保健師さんから、

 

普通に悪気はないんだろうけど、

 

「それ産めたね〜。」

 

「あ、それ先生待てなかっただけだね〜。」

 

と言われるたびに気持ちが落ち込みました。

 

それは10年くらい続きました。

 

この話をしていて涙が出なくなったのは、

 

ここ数年くらいです。

 

何年か前までは話せなくなっちゃうくらい号泣していました。

 

 

どうしてほしかったのかなと考えると、

 

「そうだね。」と言ってほしかったと思います。

 

「どうしたらいいかわからないんです。」といった時に、

 

「そうだよね。迷うよね。」と言ってもらったら違ったんだろうなと思います。

 

「そんなのおかしい、普通はこっちを選択する。」

 

と言われたことで私の全部を否定されたという思いがあります。

 

ガスが溜まって、胎動みたいに感じた時も、

 

「そんなことないよ。産まれたところ私はちゃんと見てたよ。」と言ってもらえたら、

 

違ったのかなぁと思います。

 

血小板が低かったことも最終的に「血小板減少性紫斑病」という病名が付き、

 

入院費も何百万とはかかりませんでした。

 

どうして何百万もかからなくなったのかこちらから尋ねたら、

 

保険適応にするために骨髄を採ったということを聞かされ、

 

ようやく骨髄を採った意味を理解できました。

 

自分に行われる処置が何のために必要なのか前もって言ってほしかったです。

 

そんな手段があるんだったら、

 

不安にさせるようなことを言わなくてもいいのに、

 

あの心配していた時間はなんだったんだとも思いました。

 

それもまたモヤモヤするポイントでした。

 

帝王切開になった理由も先生からは説明されませんでしたが、

 

保険会社に提出する書類に「胎児の心拍低下」と書かれていたのを見て知りました。

 

それもまたモヤモヤしました。

 

確かに赤ちゃんの心音は低下したけど、

 

ベッドを戻したら心音は戻ったじゃない、

 

でも、切ったよねという思いでした。

 

これが一人目の出産です。